近江正隆インタビュー


十勝の持つプライドと使命感

「1反の収入5?6万円の作物だが、十勝が作らなければ誰が作るんだという思いでやっている。」物腰は非常に柔らかな印象だが、その言葉の奥に強い意志が感じられた。 「佐賀のアスパラだと一反の収入が500?600万も。そうした付加価値が高いものを作りたいという気持ちはある。しかし安価でも大事な作物がある。自給率が低いそうした作物はどこが作るのか。高付加価値の作物を作りたい思いもあるが、それが全てではなくて、プライドとして大事な作物を作ろうと思っている。」 主に砂糖、ビート、デンプンなどの原料となるジャガイモを作っている十勝の1反当たりの収入は決して高くはないが、強い使命感が十勝の方々を動かしているようだ。

近江さんを突き動かした転機

意外にも近江さんの出身は東京、北海道に移住されたきっかけは「北の国から」をみたことだと言う。そんな近江さんの北海道での第一歩は漁師になるために、リュックサックを背負って港で「雇って下さい」と声をかけて回ったことだった。しかし、なかなか良い返事はもらえず、唯一雇ってくれたのが十勝。それが近江さんと十勝との出会いだった。 漁師として生計を立て始め、7?8年たった1990年、自分で加工場を建てインターネット販売を開始した近江さん。ピーク時には一日の売り上げが500万円ほどになり、自分でも天狗になっていたと振り返る。そんなよそ者を、周囲の人間もあまり面白く思っていなかったようだ。

地域の為に尽力する契機となる出来事が起こったのは、まさにそんな折だった。近江さんが乗っていた漁船が転覆事故に。九死に一生を得たのは、近江さんのことを面白くおもってなかった漁師のおかげだった。困った時は仲間を助けるということで、10万、20万もする自分の網を犠牲にして助けにきてくれたのだ。その助け方に近江さんは大きく感銘を受けた。逆の立場で、同じことができただろうか・・・。その時に思ったこと。漁業という環境。種をまかないから、自然任せの仕事。努力が報われる都会に行きたいとも思ったが、不便さがあるからこそ、助け合いの文化が漁業にはあるのだと気付いた。

近江さんの見つめる未来

更に「都会の人だって地方の農業があるから食べられる、都会と地方だって助け合いがあるんだ」と感じた近江さんは、そのことを発信するために自ら活動を始めた。必要な穀物の作り手が誰もいなくなってしまうかもしれない、しかし誰かが続けないといけない。そういったことも、農協からのストレートな発信とは異なり、都会出身の自分のような立場ならやわらげて発信することができる。必要な役割だと思っている。 「グリーンツーリズムの流れにプラスして、都会の高校生を十勝に呼び込もうと思っている。都会と農村にはそれぞれ役割がある。自給率が2%しかない都会の食べ物はどこが作っているのか。時代を担う子供達に伝えていきたい。こうした人たちがいるから都会で食べられるんだと言うことを一人でも多くの方に分かってもらいたい。」その語り口はしっかりとしていた。 「都会と農村の信頼関係を構築することが、日本の食の安全・安心にもつながると思っている。時間はかかると思うが、10年後に花が咲くことを目指したい。」近江さんの視線は遠くをしっかりと見据えているようだった。

インタビューアー:出木場 久征


近江 正隆

株式会社ノースプロダクション 代表取締役


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