代表伴走者として、5ヶ月間の伴走を終えて


「情熱」
息子たちよ!と呼びたい彼らの一途な情熱とバイタリティーある行動力。そして仲間がいることの素晴らしさ。そんな彼らを伴走することでもらった情熱の火が50歳を迎えた自分の新しい挑戦にも確実につながっているような気がする。彼らに私ができたことは、ただ、寄り添い、彼ら自身が進むべき道を見つけるお手伝いをするだけだった。


「協奏曲」
志村さんはあまりにも素敵な人で、僕は惹き込まれ、瞬く間に休日返上で自分事として走ることになった。気付きを促し、本質を掘り下げるお手伝いをする中で、愛ある故にえぐり、突き放し、過重作業を課す。一方でそのプロセスを自分とその人生に突き付ける。主客同一化。苦悩と共感のミラーリング。しかし、走り続けるのは志村さんであり、僕では無い。伴走は伴走なのだ。僕は、同じ音楽を奏でた志村さんの為にも、僕自身の挑戦を走るのだ。


「一生の伴走者」
最初は、医師として順調にエリートコースを歩んできた武藤さんが、なぜ突然方向転換をして在宅医療を目指したのかに興味を持った。そして、彼と一緒に在宅医療の現場に出てみて、初めて彼の志と覚悟を理解できた。現在の高齢者の孤立は、それ程深刻な状況にある。第一回代表受賞者となった武藤さんが、その志を実現するために、一生の伴走者として、一緒に走り貫くことを改めて決意した。


「伴走者から、真の走者に」
中核メンターという名称でスタートした公志園。伴走者という名称へ変更された頃には、傍観者的支援から共に歩んでゆく理解者へと進化。それでも後方から車に乗って声援している”伴走車”でしかなかったが、12月を迎える頃には、車を降りて共に本気で悩み苦しみながら走る”伴走者”になっていました。共に感動のゴールを迎えた今、その名称は、伴の字が取り去られ、真の走者として自らのフィールドで走り出すことを迫られているように思います。


「たくさんの勇気」
正直、今回の伴走は突き進んで行く星島さんの追走になってしまったなと反省しています。星島さんの熱い気持ちの伝達にもっと役に立てていれば、との思いを胸に、今後もおつきあいをできればうれしいなと思っています。星島さんのひたむきな姿や、公志園に関わった皆さんから勇気をもらいっぱなしでしたので、その恩返しをいつかできればと思っております。


「内なる声が聞こえるように」
伴走者の役割をひとことで言えば、「挑戦者に自分の内なる声が聞こえてくるようにすること」、だと思う。それができると人は強くなる。自分の中に軸ができる。既にその分野で長く活動を続けてこられた挑戦者に、伴走者ができることはそれくらいのことしかない。しかし、寄り添い、最後まで何があっても共に走ることを誓い、全力で、全身で、真剣に悩み、進み続ける—-人は真剣な人に接したとき、真剣になれるもの。そしてその挑戦者の姿に、むしろこちらの方が学ぶのだ。


「食の絆から、心の絆を取り戻したい」
近江さんの純粋で直向な性格と人間的な魅力に触れ、私自身もとてもいい刺激を受けました。また、改めて社会変革のエネルギーをもらったように感じています。ただ、突然のご指名で代表伴走者となったため、時間の制約もあり十分な伴走ができなかったのが残念。でも、今後も末永くおつき合いさせていただき、近江さんの活動の輪を広げながら、心の絆を紡いでいきます。ご縁のあった皆様にも言葉で表せないほど感謝しています。


「根底の言葉を紡ぐ」
はじめての取り組みであった公志園に、参加する意味を見い出せなかった貝沼さん。途中、支援会も休みがちで、伴走は困難でした。転機が二つありました。会津若松に彼の現場を訪ね、様々な人々との繋がりの中にいる彼を見ました。東京に呼び、じっくり語り合い、彼に「ロックの精神」を見出し、共感しました。根底の言葉やイメージを共に紡ぎ出せたことは、これからに繋がるでしょう。


「自分自身の生きざまにも大きく影響」
今回、伴走に臨む決意を「勿論、自分自身も大いなる刺激を受け、共に学び成長させて戴く為です。」としました。伴走を終えてみて、想像以上に「大いなる刺激」を受ける事が出来ました。社会を、日本の未来を憂えて、実際に行動を興している方が如何に多いか、そして出場者の皆さんが正に人生を賭けて、その「想い」の実現に取組んでいる現実を目の当たりにしました。自分自身の生き様の振り返りにも大きな影響を与えてくれた公志園に心から感謝しています。私を拘らせて下さり本当に有難う!


「新たな生まれた好循環」
挑戦者に寄り添う時間の中で刺激を得、その刺激を、自分を見つめ直す時間、家族との時間、職場や地域の仲間との時間に還元し、そこでの気づきをもってまた挑戦者に寄り添う。この5か月間、自分の中に新たな好循環が生まれました。公志園でご縁があった皆さんに感謝です。


「何故走るのか?」
菊池君は、全速力で走っていた。彼は、彼をサポートする数人の仲間とともに、全速力で走り始めていた。僕は、息を切らして走る彼に聞いてみた。あなたは、何故走っているのか?どこに向かって走っているのか?彼は怪訝な顔をして、走るスピードを緩め、そして立ち止まって、言った。「もう一度考えてみます。何故走るのか。」伴走者が役に立ったとすれば、それは、彼の走りを少し止めさせて、わかりきっていたはずのことを、もう一度考えさせることだったように思う。


「新たな飛躍のキッカケ」
林さんに伴走した数ヶ月間は、一言で言えば「楽しかった」です。他人と競争する、他人と比べることで自分の幸せや不幸せを感じる・・・そういったゼロサムゲームではなく、皆が自分の志をもって邁進する、それを見て、また皆で頑張れるといった好循環は、ビジネス社会で競争ばかりを意識して仕事をしている自分にとっても大変新鮮な体験でした。何だかこの辺りに次の日本のブレークスルーが見つけられそうな気がして嬉しかったです。


「震えた心に生まれた力」
巻き込まれる、困惑する、振り回される、磨かれる、研ぎ澄まされていく、核心に辿り着く、思いが昇華する、精神性が極限まで高まる、そしてピュアになった「志」が皆に共感され感動が生まれる。公志園での5ヶ月間、何よりも自分自身を振り返って感じた変化です。震えた心に生まれた力を一生大切にします。


「問い」
挑戦者と過ごしたあの数ヶ月間、あの時、感じた濃密かつ異質な
ものはなんだったのだろう?そこで出会った挑戦者の方々は皆、一
様に苦しみ、悩んでいた。ビジョン、資金、人、戦略・・・描けて
いるチームはなかった。にもかかわらず、あの純度の高いエネルギ
ーはすべてを超え、大きな岩を動かさんとしていた。私は彼らと伴
に走りながら、彼らからの問いに晒され続けた時間たっだのかもし
れない。「あなた方企業人は、何のためにそれほど学び、力をつけ、
一生懸命働いているのですか?企業とは何のためにあるものですか?」